干溝歌舞伎

干溝歌舞伎 やまびこ座結成以来今日まで、地元で公演した演目についての解説

やまびこ三番叟

やまびこ三番叟(干溝歌舞伎)

やまびこ三番叟(干溝歌舞伎)概要
 舞踊で、江戸時代には顔見世興行や正月興行として「寿式三番叟」として晴れの日に上演されたものです。翁は神聖な ものとして、三番叟もその精神を受け継いでいます。同じ三番叟でも、能は静の美を重視するのに対し、歌舞伎では躍動的で、陽気な面を強調しているところに違いが見られます。

  「天下泰平」、「五穀豊穣」を祈願して踊り、足を踏み鳴らして魔を払いますが、こうした所作の中には、田を耕し種をまく動作なども含まれています。ここで面白いのは、日本人の二拍子系の特徴が三番叟の動きとツケ(拍子木)のリズムににじみ出ていることです。 それをエネルギッシュに振ることによって、五穀豊穣がかなうとされています。

 この『やまびこ三番叟』は、干溝十二山神社の山の神を題材に、干溝歌舞伎のために作詞、作曲されたもので、三代目三桝清次郎師匠により振付され、平成20年12月7日に初演、毎回バージョンアップされ好評を博しています。

野崎村 お染久松

新版歌祭文 野崎村 お染久松

新版歌祭文 野崎村 お染久松概要
 有名な歌祭文「お染久松」の話を扱った作品。お染久松の心中を扱った「袂の白しぼり」(1711)、「染模様妹背門松」(1766)から登場人物、ストーリー、有名な文句までもそのまま使い、お染久松物の決定版となっている。中でも上の巻「野崎村の段」は有名で、段切りのメロディーは広く知られている。

「野崎村」では、恋を諦めるお光の悲哀が涙をさそう。両花道を使った豪華な演出で終幕となる。
安永九年(1780)九月竹本座初演。近松半二(1728~1786)作。

弁天娘女男白波

弁天娘女男白波(通称白波五人男)

弁天娘女男白波(通称白波五人男)概要
 通称「弁天小僧」で有名なこの作品は、幕末の歌舞伎脚本作者(戯作者)河竹黙阿弥(かわたけもくあみ-1816~1893)の「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」という5幕ものの芝居です。二幕目第三場(稲瀬川勢揃いの場)で、「志らなみ」の字を染め抜いた番傘を差して男伊達の扮装に身を包んだ五人男の名乗りをするところが有名です。

 花道を堂々と登場後、舞台に来て捕り手を前に五人組が勢揃いし、一人づつ見得を切り、「連ね」と呼ばれる、縁語や掛詞を駆使した七五調のリズミカルな台詞で名乗る姿は歌舞伎の様式美が凝縮されています。

 夜桜の稲瀬川の堤に現れる白浪五人男。「問われて名乗るもおこがましいがー」「さて、その次は江の島の岩本院の稚児上がりー」「っさてどん尻に控えしはー念仏嫌えな南郷力丸」など有名な美文調のせりふが心地よい。

石川五右衛門
- 鼠小僧と並ぶ、日本で極めて広く名の知られた泥棒。
弁天小僧菊之助
- 千寿姫を騙し身投げさせた後、日本駄右衛門の手下となり、女装して恐喝と窃盗を働く。
南郷力丸
- 忠信利平の金(元は千寿姫の許嫁・信田小太郎の仏前に備えられた金を赤星十三郎が盗んだもの)を奪おうと斬りあう。菊之助と共に恐喝と窃盗を働く。
日本駄右衛門
- 大盗賊。千寿姫を身投げさせた菊之助を手下にする。実在の盗賊浜島庄兵衛、別名日本左衛門がモデルという。
忠信利平
- 赤星家に仕えていた父親が横領の末逃亡。日本駄右衛門の手下。
赤星十三郎
- 叔父に薬を得るための資金を頼まれ、盗賊となる。忠信利平に出会い、日本駄右衛門の手下となる。


この作品には歌舞伎の人気狂言「雁金五人男」「新薄雪物語」「山門五山桐」などのパロデイが見られ、それをまったく新しい作品に作り変えた作者、黙阿弥の機知に富む傑作のひとつです。
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菅原伝授手習鑑

菅原伝授手習鑑 寺子屋

菅原伝授手習鑑 寺子屋概要
「寺子屋」は、平安時代、政争に敗れ、大宰府に流されながら学問の神である天神様として祭られた菅原道真の悲劇を描く、義太夫狂言「菅原伝授手習鑑」の四段目にあたります。

 書の達人であった道真の弟子式部源蔵は、芹生の里で寺子屋をしながら、道真の一子菅秀才を匿っていたが、突然庄屋の家に呼び出され、匿っている菅秀才の首を切れと厳命を受けた。沈痛な面持ちで戻ってくるが、今日初めて寺入りした小太郎という子供の顔を見て、身代わりとして首を討つ決心をする。(小太郎は松王丸の実子)。首実験には春藤玄蕃と松王丸がやって来る。

 みどころは、我が子の首を実検する松王丸と、にせ首がばれたらすぐに斬りかかろうとする源蔵の緊迫の場面。そして後半、真意を打ち明け、立派に身代わりをはたした小太郎を偲ぶ松王丸。千代の愁嘆。悲劇的な物語は、哀切極まりない曲節「いろは送り」で終幕となります。

仮名手本忠臣蔵

仮名手本忠臣蔵 七段目

仮名手本忠臣蔵七段目仮名手本忠臣蔵七段目概要
 「七段目」は「仮名手本忠臣蔵」のなかでも歌舞伎らしい華やかさがある幕です。そして、お芝居らしいお芝居です。場所は一力茶屋という遊郭です。

 江戸時代の作品ですので忠臣蔵事件をそのままネタにすることができなかったため、表向きは「太平記」の設定を使っています。つまり、歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」は登場人物の名前が史実とまったく違います。筋はだいたい同じですが、上方の作品なので、江戸での刃傷や討ち入りよりも本筋とはあまり関係ない上方周辺でのエピソードが全体の半分ほどを占めています。そのため、予備知識なしに見ると違和感があるかもしれません。
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絵本大功記

絵本大功記 十段目 尼ケ崎閑居の場

絵本大功記 十段目 尼ケ崎閑居の場概要
作者は近松柳・近松湖水軒・近松千葉軒。1799(寛政11)年初演の人形浄瑠璃。その翌年の11月に、もう歌舞伎として上演された。明智光秀の反逆事件を描いた読本「絵本太閤記」をもとに脚色された作品。光秀が謀反を起こすきっかけからその最後までの13日間を、1日目から13日目までの13段に分けて構成されたもの。その十日目にあたる十段目が、有名な「尼ケ崎閑居の場」です。
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鹿芝居

鹿芝居

鹿芝居概要
『鹿芝居』とは「噺家芝居」を縮めためたものと言われています。「鹿芝居』は、噺家が役者さながらに芸達者ぶりを発揮したり、噺家さんならではのくすぐりやアドリブが楽しく、大変人気があります。粋でおかしい『鹿芝居』を是非一度はご覧ください。